› 他人の顔 › 【し】
2012年08月02日
清水アキラ
こうして私は今日も絵筆を握り続ける。いかなる時でも気の向くまま、本能の赴くままに絵筆を走らせる。何を描いたって構いやしない。後ろ指さされたって気にしない。それは描きたいからに他ならないから。それが絵描きの気概ってもんだ、そうだろ?
そんなことを考えながら午前4時現在、眠りもせず描いたのが上のイラストである。来年にはセロテープ芸の極めつけ、「春日八郎」が見れなくなるのがとても残念だ。
2011年08月15日
シンディ・ローパー
誰も気にしないようなことについての思い出話をひとつ。
誰も気にしないようなことといえば、映画館での休憩時間に流れる音楽がある。現在主流であるシネコンの多くは有線(主に洋楽)を流しているみたいだが、ひと昔前の映画館ではレコードやCD。名作映画のサントラや、クラシックなどが無難なところだろうが、その選曲に寄って映画館(というより映写技師)のセンスが垣間見えたと思う。
私が昔よく通った近所の映画館もそうだった。ところが、ほんの一時期だけシンディ・ローパーを流し続けたことがあった。しかも1曲だけ(有名な曲だが、音楽全般に疎い私は曲名を知らない)。『フルメタル・ジャケット』と併映の『エルム街の悪夢3』の間とか延々繰り返し流されるのである。それ以来シンディ・ローパーといえばイラストのような顔とあの曲が染み付いてしまった。80年代当時の流行というのもあったのだろうが、シンディ・ローパー好きの映写技師というのは今考えてみるとスゴい。しかもなぜあの1曲だけに執着したのか。つい先日、映画館が取り壊されてしまった今、その謎を知ることはできない。
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2011年08月07日
ジョージ・A・ロメロ
現在、数多あるゾンビ映画の開祖的存在、知る人ぞ知るホラー映画監督である。この人を見ると名前は忘れたがカラオケを発明した人を思い出す。爆発的に世界に浸透したのは良かったが、肝心の特許を取得していなかったために辛酸を飲んだという逸話が、ロメロとかぶってしょうがない。
映画における知的所有権みたいなものが楽曲などと同じように確立されているのかはよく知らないが、もしそういうものがちゃんとあって、きちんと取得していたら、これだけゾンビ映画が溢れているのだ。ロメロはジョージ・ルーカス並みに巨万の富を得ていたかもしれない。そういうものがなかったとしても、『バイオハザード』などを始めとするゾンビ映画製作者は、いくらかロメロに支払うべきである。本気でリスペクトしているのなら、そういう行動に出て然るべきだろう。ミラ・ジョボビッチだって足を向けて眠れんぞ。
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2010年06月15日
ジェームス・ブラウン
肌色の違う人種は数あれど、黒人ほど年齢がわからない人種はない(マイケル・ジャクソンを除く)。テレビで海外の旅番組なんかに出てくる地元の人を最初見たとき、はて何歳だろうかと自分のなかで予測し次の瞬間、画面下に名前と年齢のテロップが出て実際の年齢がわかったとき見積もっていた年齢より若かろうが、老けていようがさして驚きはしない。「ああ、そう見えるか」と納得してしまう。「若い」とか「老けてる」とかはほど遠い人種かもしれない。
たとえば、モーガン・フリーマン。彼はいくつに見えるだろうか。50代後半ぐらいにも見えるし、または80代前半ぐらいにも見える。正解は73歳。ああ、なるほどなと納得はしつつもウソで50代、あるいは80代といわれても納得しているかもしれない。
ところがこちらが見積もることさえ難しい黒人というのはジェームズ・ブラウンだ。あの黒人とは思えんボリュームのある髪型に脂ぎった肌、いったいいくつかさえわからんあの風貌。彼こそ最も年齢がわからない黒人だ・・・と結ぼうとしたんだ。もうこの人3年前に亡くなってたんだね。享年73歳。歳取ってる、取ってないの問題ではありませんでしたね。JBよ永遠に。
2010年05月08日
志村けん
私にとっての笑いの起源は志村である。いま若手といわれるお笑いの人たちも好き嫌いは別として何がしか見てきているはずだし、彼らが織りなす笑いのなかには意識はしていないにしろどこかに志村が刷り込まれているはずだ。
それほどの影響力を及ぼした80年代の志村は最強であった。一挙手一投足、全身に「笑い」が取り憑いてるとしか思えない。その最強ぶりは動画サイトで見ても変わらない。
しかし歳を重ねるにつれ、その威力は摩耗し安定期に落ち着いたといっていい志村は今年還暦を迎えた。これからは老練な仕事ぶりに期待したいところだ。