2013年03月10日
若尾文子

前に『しとやかな獣』という40年前の映画を見たんだが、そこに出てくる若尾文子を見ると、「色気」って何なんだろうと思った。露出が極めて少ない和服を身につけているだけなのに香り立つエロさというのがハンパ無いのである。なぜ同じ時代に生きていなかったのか口惜しくなったくらいだ。陰毛おっぴろげがまかり通るようになった現代において、顔以外の肌を晒さず何とも言えぬ劣情を掻き立てられるというのはかなり高度なことではないか。これを前にしたら壇蜜なんて子供以下である。
和服というところにまだまだ若造の私には計り知れない魔力でも潜んでいるのか。いや、そうなるとフジカラーCMお正月バージョンの樹木希林はどう説明がつくのか。それほど高くもなく、かといってハスキーでもないあの声質か。いや、声紋研究の権威・鈴木先生でもわからないだろう。男が落ちやすい声質があるかもしれないが。
2013年02月23日
ウディ・アレン

共通点は出発がコメディアンというだけで、人種や系統が異なるが私の中でウディ・アレンは志村けんと被ってしまうところがある。どこが被るのかというと70年代後半から80年代の勢いの凄まじさ、そしてその恩恵で現在に至る安定した姿勢である。某動画サイトからその頃の志村コントを見ると今と違っていかに神がかっているかがよくわかる。あの瞬発力、アドリブともつかないセリフ回し、コントの出来云々よりも演者としての凄さ、そして一方のウディは出す作品はイイものばかり。『スターダストメモリー』『カメレオンマン』『ブロードウェイのダニーローズ』『カイロの紫のバラ』『ハンナとその姉妹』などなど。1年に1本のペースで佳作を連発するのも神がかっているといっていいだろう。そして現在でもそのペースは崩さず、『ミッドナイト・イン・パリ』をヒットを飛ばす。そして志村も定期的に「バカ殿」と「だいじょうぶだぁ」をやって安定した姿勢を保っている。全然違うんだけど両者はなんか似ている。
2013年02月10日
和田アキ子

考える必要など微塵もないことだけれど、敢えて和田アキ子が見せる女らしさについて考えてみる。
紅白の常連である国民的歌手は除いて、テレビを通じて知っているのは古くはゴッドねぇちゃんと呼ばれた頃から常に恐いモノなしに立ち居振る舞いする姿。そして芸能界においての揺るがない地位も手伝って「最強」というのが国民的コンセンサスとしてある。そこからは女らしい一面はあまり見られない。いや、時折、ゲームやクイズで緊張のあまり泣いたり、テレフォンショッキングでタモリが指摘する弱点(耳のあたりを吹きかけると弱った声を出すetc)があったりはする。
しかし私が最も女らしいと感じさせる瞬間は、涙目になって手を叩きながら爆笑したあと溢れる涙を、イラストのように指に伝えて払う仕草である。涙で化粧が崩れるのを防ぐその行為からは、どんなにテレビで暴れようが「女性」を保とうという意志が垣間見える。これを女らしいと言わずして何と言うか。これほどの大物でもやはり生まれながらに持った生物的宿命には逆らえないのである。
2013年01月31日
ガレッジセール

前回に引き続き、県外の方にはさっぱりな沖縄ローカルCMについて。イラストは沖縄県民にはもうすっかりおなじみになったといってもいい紅いも大使と宣伝マンに扮したガレッジセールである。しかし今はこの姿をテレビで目にすることはできない。全国区のタレントを思い切って起用し、キャラクター化によって商品イメージを啓蒙する常套手段がうまいこと回り始めたかと思ったところで現在オンエア中の新CMである。
商品を販売する御菓子御殿はせっかく築き上げてきたものをすべて捨て去り(ま、単純にガレッジの契約期間が切れたと見るのが妥当でしょうが)、イチからの仕切り直しを試みているが、これほど”落差”というものを見せつけられるCMはない。全国区のタレントから一転して今度はどこから引っぱってきたのかと思わせる3人の若い娘。そしてどんなヤツが作ったんだと思わせる単調なCMソングに乗って店舗を背景にただ踊っているだけである(場所を変えたり、商品を頬張ったり、クレヨン画風のイラストに顔だけを当て込むカットなどが間に差し込まれたりする)。お世辞にも抜群とは言いがたい微妙なルックスで若干垂れた二の腕といい、振り付けといいどことなく森三中・黒沢と重なって見える。こんなていたらくを目にする度に胸に秘める私たちの思いはひとつである。「絶対、上層部の娘あたりが混じっているな」と。
2013年01月25日
ゆーりきや〜

どれだけの人が気付いているのかわからないが、現在のテレビCM出演本数が最も多いのはゆーりきや〜である。あ、大島優子だとか思ってた方はごめんなさい。これは沖縄県内のみの話。気がつけば、某ビール会社だったり、某建設会社や某ステーキハウスもあれば、果ては県内に進出した某ディスカウントストアまで民放にチャンネルを合わせれば見ない日はない。ラジオやテレビのレギュラー、結婚披露宴の司会に加えて、大幅に増えたCMの収入でさぞかし懐は潤っていることと思う。そこで。
オバァキャラに扮している山田力也のカツラ、そろそろ新調してみてはどうか。「お笑いポーポー」の頃から気になってたんだが、なんであんなカツラ然としないカツラを被り続けてるんだろう。ゴム製ともビニール製ともとれないペラペラ感。テレビから見るにパーティーグッズ以下の代物である。20年前にオーダーで作ってくれるカツラ職人が県内にはいなかったのか。いや、郷土劇があるから畑は違えど頼めば作ることも可能だったかもしれない。しかしここは”敢えて”の選択だったのか。こんな余計なお世話の何ものでもないことに思いを巡らしても、ただ、当人には「やりやすいから」だったりするんだけれども。
2013年01月18日
檀蜜

いま、世の殿方を惑わしているらしい檀蜜。セックスシンボルに貴賤なしとでも言うべきか、有象無象がひしめき合うこの界隈でひとり高みにいるように見える。メディアがこしらえた高みかもしれないけど。
最近、テレビで初めて動く檀蜜を見た私はそれ以来悶々としていた。いや、意図通り術中にハマっての「悶々」ではなく、完全にキャラクター然とした立ち振る舞い、人名に「〜様」と言ったりする過剰な丁寧語から「どっかで見たなぁ〜」という確信がつかない思いがどうしても拭えなかった。その源に何としてでも辿らねばとここ数日間悶え続けていたのである。
そしてこのほどやっとのことで辿り着くことができた。そこには真鍮の椅子に座った黒木香が脇毛をなびかせながら長い髪をかきあげていた。この2人は似ている。前出の芸風を作りあげるにあたってインスパイアを受けていたのかは知らないが32歳という微妙な年齢から存在は知っているはず。図らずもそうなってしまったのか途中で「あ、カブってる」とは思わなかったのか。でもまぁせっかく高みにいるんだ。このまま突っ走ってみては。次なるステージには村西カントクが待ってるかもしれないよ。
ちなみに、芸風がカブっている証拠に「壇蜜 黒木香」でネット検索したら同じ印象を綴ったブログ等が多数ヒットしました。私の他にも悶々としていた人は全国でおそらく30万人はいるかと思われます。
2012年11月29日
高須克弥院長

似顔絵を描くにあたっては「いかに似させるか」というのが第一義として私にはあるが、それにはまず顔のシワの有無によってそれを決定づける。また、その位置の違いによって表情が変わるのでシワはいわば似顔絵の完成度を左右する要だと言ってもいい。
先日、普段お世話になっているある方から作成の依頼を受け、一度描いて確認してもらい修正の注文を受けた。それはまぁ細々としたものでご本人のご要望であればなんなりと承る所存ではあったのだが、そのなかにとても無茶な注文があった。ほうれい線を消してくれというのである。いままでいろんな方の似顔絵を描いてきて初めてのケースである。ほうれい線は顔のシワのなかでも最も重要なパーツである。どんなにシワが無い女優でも少しでも微笑んだらほうれい線はできる。それを消してくれなんざぁ、目に見えるものは描く私にそれ以上無茶なものは無い。
これは似顔絵云々のレベルではない。そのような注文は高須院長にお願いして欲しい。身を呈して全身整形の安全性を唱えてるんだから信頼は大きいと思うよ。
2012年11月18日
スティーブ・ジョブズ

人生の壁にぶち当たった時、生きていく自信を無くした時、自分を見失った時、すがりたくなるのは先人たちが遺した、あるいは人生の成功者たちが放った名言の数々。感銘を受け胸に刻み込み人生の指針を見出す一助にもなるありがたいものである。
しかし、ここ最近の名言や金言をやたらあげつらうムードになっているのはどうなんだろう。別にこっちは求めちゃいないのにみんながみんな揃いも揃ってあんな言葉がある、こんな言葉があると言い合っている感じ。fecebookを始めとするネットもそうだし、ときどき書店でも名言集の類いを見かけたりする。遂には「世界は言葉でできている」なんていう番組がゴールデンで流れている始末。いや、実際耳にする名言でなるほどと膝を打つ良いものはたくさんある。ただ正直言っておしつけがましくて何かイヤなんだ。膝を打つ分だけ未熟な自分に気付くという意味ではいい機会かもしれないけど。
特に私にとって少々耳が痛いのは、経営者などを信奉する人たちである。誇らし気に関連書籍などがズラリと並んだ会社のデスクなんかを見るとちょっと閉口する。別の項で書いた「己の趣味を簡単にさらす恥ずかしさ」に似ているところがある。でもそういう人たちって信奉しているのは「○○○を信奉している自分」ではないのか。○○○に入るのはスティーブ・ジョブズしかり坂本龍馬しかりカリスマ性が高い人ほどその確率も高い。全員が全員とは言わないけど、そんな人が中にはいるような気がする。
2012年11月11日
映画『コマンドー』の悪ボス

映画というものは面白いもので一度見たものをまた見てみると違う印象を受ける場合がある。それは見ていたその時の体調や機嫌・不機嫌または再び見るまでの間に変わった人生観や成長によって変わってくるのだろう。
シュワちゃんがアクションスターの地位を確実なものにしたと位置づけられる『コマンドー』を初めて観たのは公開当時、小学校1年の頃であった。併映は『バタリアン』。まだまともにゾンビ映画の類いなど見たことがなかったゆえ、脳ミソを喰らうなんてなんと残酷なと顔をしかめる一方で『コマンドー』の方は勧善懲悪、派手なアクションに胸がすく思いだった。
しかし数十年の時を経てある程度の分別がついて大人になった今見てみるとどうだろう。とんでもない鬼畜映画なのであるコレが。今じゃ『バタリアン』が可愛く見える。山奥で愛娘と幸せに暮らしていたシュワちゃんは悪党一味に愛娘をさらわれると、神をも恐れぬキリングマシーンに変貌する。ちょっとでも愛娘に手を出したら最後。情状酌量の余地なしにブチ殺す。最も圧巻なのは敵のアジトに侵入し、そこに立ちはだかる護衛集団を叩きのめす殺戮シーン。機銃掃射だけでは空き足らず頭や腕をナイフでまっ二つにしたりと鬼畜の極みである。あの人たちにはあの人たちの人生があるのに「人の命は地球よりも重い」なんていう言葉もミスターオリンピアの前ではあまりにも無力だ。
そんな『コマンドー』の鬼畜精神を『エクスペンダブルズ2』(絶賛公開中)は受け継いでいるのだろうか。ちなみにモデルの悪ボスは『エクスペンダブルズ2』には一切出てないし、劇中ではイラスト内のような台詞は言ってないので誤解なきよう。
2012年10月31日
剛力彩芽

「トリックオアトリートっ!!」
この言葉を日本中で耳にするとは数年前まで誰が予想できたであろう。
ジョン・カーペンターのホラー映画としか認識していなかった遠い欧米の風習がいまやここ日出ずる国で当たり前のように行われている。またアメリカの真似事なんかしてなどと言いたくはないが、クリスマスが持ち込まれて瞬く間に国民的行事と成り上がった古き良き時代でもあるまいに、これだけ情報が氾濫、錯綜し価値観も多様化している現代で、みな一様に扮装してはしゃいでいるということがあるんだなぁとちょっと驚いている。
まぁ、保育園や幼稚園などでは恰好のいい行事としてもてはやされるのは異論はないが、舶来もんにかこつけてカップルたちがイチャイチャすることに持ってこいな行事にならないことが私の願いだ。
というわけで剛力彩芽とは1ミリ足りとも関係のない話である。しかし取材陣が集まるイベント会場の至るところにひっぱりだこの人気者だ。今日あたりはこんな装いでカメラに微笑んでるだろうと思い、ただ描いてみた。