てぃーだブログ › 他人の顔

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Posted by TI-DA at

2014年10月13日

北大路魯山人


 日本だけに限らず資本主義社会ならどこでもより良い商品を他社より作り出そうとしのぎを削る競争社会が広がっている。それとはまた別にいままでに存在しないすき間を狙った「コロンブスの卵」的なモノが登場したりする。発明が趣味の専業主婦が一発当てるようなラインとか特定の趣味趣向の人向けのラインとか様々だが、今朝の新聞の経済頁でこんなモノが紹介されていた。その名も「魯山人納豆鉢」。ただの納豆まぜ器に魯山人の名を冠するとは。

 いまでは美食家、というよりもおそらく「かの魯山人の愛弟子・・・」のフレーズの方が知られている北大路魯山人はなんでも納豆の愛好家だったらしく、混ぜれば混ぜるほどコクが出て美味しく頂けるのだそうな。その美味しい食べ方諸々が記された文献をもとに味覚の専門家が割り出した理想的な混ぜる回数は424回。それをハンドル1回転につき2回分混ぜるよう設計して完成させたのが魯山人納豆鉢である。今までも魯山人をダシにした商品は腐る程あっただろうが、そのほとんどは高級指向であっただろうと思われる。そこに高級とは無縁な納豆を結びつけたのはあまり無かったのではないか。

 ただ、単に424回かき混ぜる肉体的負担を軽減するだけの代物なんだが、意外にあれではないのか?多くかき混ぜるからこそ美味しく「感じる」んじゃないのか?よくはわからないが「サウナに長く入っていればいるほど、その後のビールがうまい」だとか「飲んだ後のラーメンは最高」だとか、科学的根拠の無い味覚。多くかき混ぜた疲労が美味しさに直結するということではないのか?少々根拠が疑わしい商品なんだが、なんと当たっているようで目標の2倍の売れ行きで一時品薄になることもあるんだとか。全くもって勝因はどこに転がっているか判らないが、とりあえず今晩は納豆を424回かき混ぜてみようと思う。
   

Posted by イリー・K at 19:51Comments(0)【き】

2014年10月04日

土井たか子



 あれほどマドンナマドンナと騒いでいたおたかさんも既に85になられていたのか。時が経つのは早い。25年ほど前になるのか。ということは当時では還暦。故人を引っ張りだしてこういう話するのはなんだが、結構なお年を召した女性を「マドンナ」なんて持ち上げるマスコミって何なんだと今更ながら思う。無責任なマスコミがさらに暴走を始めた象徴的な現象のひとつではなかったかと考えるのは大げさかもしれないけど、今では珍しくも何ともない女性議員の憧れの星になったのは確かだと思う。その結果現在の惨憺たる状況である。政治的スタンス云々に関しては私はわからないが、これはおたかさんの功罪であると思う。ま、何はともあれ逝去に関してはご冥福をお祈り申し上げたい。  

Posted by イリー・K at 08:57Comments(0)【と】

2014年09月28日

ラッシャー板前


 あれほど騒いでいた地デジ移行からはや3年が過ぎ、確実にテレビの放送形態が変わって行くというのに土曜の朝テレビで流れているのを目にすると何気に不思議に思うのが『旅サラダ』がいまだに地味に続いていることである。これまた司会者起用の謎が払拭されない神田正輝と向井亜紀が今日もにこやかにソファに座り、20年以上の長きに渡ってさわやかな週末の朝を茶の間に届けている。

 週末の朝、これなのだ。芸能人が旅する模様などを伝える可もなく不可もない内容だけではなく、一週間の中で人々がおおおらかになる時間帯なのかもしれない。未来永劫、日本人にこの習慣が続くならば、番組最大の謎のキャスティングであるラッシャー板前の中継も安泰であろう。ちゃんと見てみたら可もなく不可もないレポートぶりであった。20年も続けばね。  

Posted by イリー・K at 20:09Comments(0)【ら】

2014年07月21日

長渕剛



 この4月に始まった「ワンダフルライフ」という番組は、様々な分野で活躍している人をゲストに招き、密着VTRを織り交ぜながら、番組ホストを務めるリリー・フランキーとスタジオでトークを繰り広げるといった番組である。しかし、番組構成は違うが同じ日曜日にやっている「情熱大陸」と人選が似ている印象があって「情熱大陸」共々見ていない番組だったんだが、この日のゲストは長渕剛であった。これは見ない方がおかしい。絶対面白いに決まってる。で、見てみたらやっぱり面白かった。

 まず、密着VTRの「ライブステージに上がる前に必ず2時間筋トレ」でハートを掴まれ、スタジオトークでは「何も無いガキだった俺がギターを手にした時、すべてを手に入れられると思った」という長渕語録を頂戴し大満足の1時間であった。断っておくが私は長渕の熱心なファンではない。もちろん数々の名曲を持ったシンガーであることは間違いない。しかし、私は「人間・長渕剛」としてこの番組を見ていたのである。番組でも示していたこの人のストイックさが私にはもうたまらない。
 
 何かひとつのものに打ち込むことは素晴らしいことである。何にもせずぼぅっと生きているよりは何かを見つけて取り組めば自分の存在意義を見出せるという何と前向きなことか。しかしそれが真剣であるほど私には可笑しく見えてしまう。そんな見方をしちゃいけないことは承知の上でである。だから表ではニヤついたりはしないが、腹のなかでは「なんでこんなに真剣なんだろうなこの人は」という邪念が常にある。そこに自己陶酔に行っちゃってるとなるとそれはもう絶大だ。その最たる人物である長渕がテレビに映ろうものならチャンネルを合わせざるを得ないのである。当の本人から見ればそれは長渕キックのひとつでも食らわれるだろうが、それでも見守っていきたい人物である。

  

Posted by イリー・K at 18:28Comments(0)【な】

2014年06月11日

梅垣義明



 伝聞でも本やその他の媒体から得たものでも良いが、別段好きという訳ではないけど、妙な印象が残り不意に思い出しては小鼻が膨らむような笑いを誘う話というのは誰でも持っているのではないだろうか。

 私が時々思い出してしまって困るのが、ワハハ本舗の梅垣がテレビ番組で全身に金粉を塗りたくって股間にチンコケースを装着し、回転するお立ち台に乗りながら「イオマンテの夜」を歌う芸を披露したところ、アイヌの団体から猛烈な抗議を受け謝罪とともに芸を封印したという話である。私はこの芸を見たことも無ければ「イオマンテの夜」という曲も知らない。たまたまネット上で得た情報である。しかし、代表的ともいえる女装してシャンソンを歌いながら鼻の穴に豆を詰めて飛ばす芸を持つ梅垣であるからどのようなものかは大抵想像つくし、「イオマンテ」「チンコケース」「アイヌ」という情報から醸し出されるのは荘厳な調べに載って回りながら朗々と歌い上げるくだらない光景だろう。さらにそこにアイヌの団体からしたたか怒られて芸を辞めたという間抜けさ。不謹慎な捉え方であるが、たとえ芸そのものが面白くなかったとしてもエピソードとして完成されていて、もうお腹いっぱいである。

 日々、仕事に追われていたり、つらい状況に追い込まれたりしたときにフッと思い浮かんだりすると一時的ではあるがささやかな救いをもたらしてくれる。人生のちょっとしたゆとりってそういうものではないですか。
  

Posted by イリー・K at 03:44Comments(0)【う】

2014年03月30日

May J



 たまたま見た関ジャニ8のカラオケ番組。途中からのチラ見で全容はわからないがこの日は小学生大会だったらしく予選を勝ち抜いたファイナリストが番組では無敗を誇っているらしい王者MayJと対決をするところであった。番組は対決に入る前に挑戦者が出場するまでに積み重ねた猛特訓の様子を流し、将来は歌の世界に憧れている挑戦者への同情を寄せる演出を見せる。会場には家族もかけつけ両親は固唾を飲んで対決を見守る。が、結局は僅差でMayJの勝利。挑戦者は涙をのむ結果となり、プロとの歴然の差を見せつけた。

 残酷なように見えるが、「プロの世界はそんなに甘いものじゃない」ことを教えるのは正しい。挑戦者はこれを肝に命じさらに邁進するいい機会を得たと見ることも出来る。しかしMayJよ、挑戦者にとってはなかなか無いこの先の人生を左右するかもしれないこの対決に歌った曲が今公開されてる映画の主題歌とはどういうことか。商魂たくましいというか何と言うか。挑戦者が教えられたのはプロの厳しさだけではないことを肝に命じておくべきだな。
  

Posted by イリー・K at 22:42Comments(0)【め】

2014年03月19日

ふなっしー



 ゆるキャラ史上、爆発的と呼ぶにふさわしい成功で名を残したふなっしー。昨日は「笑っていいとも!」と「SMAP×SMAP」に出ていた。活躍めざましい自称・妖精に私はあることに気がついた。これをひとつの説として提唱しようとしたところ、私と同じように気づいた人がけっこういたんで断念せざるを得なかった。しかし、えげつないほどのメディア露出(+地方営業)を誇るふなっしーだ。疑惑として大っきく浮上してもおかしくないと思うんだが。不思議でしょうがないその疑惑とは「ふなっしー・さかなクン同一人物疑惑」である。別に中の人が誰なのかはどうでもいいし、知ろうとも思わないんだが、声を聞いてるうちに自ずとフグの帽子を被った満面の笑みのさかなクンが浮かんできたのである。しかし、それは何もあのキーが高く、落ち着きが無いしゃべり方だけに同一人物疑惑を見た訳ではない。

 身もふたもない言い方だが、この両者の存在としてのつまらなさは私の中で一致している。笑わせたり楽しませたりすることを第一の使命としてやっているわけではないので(ふなっしーには若干あるか)、いささか理不尽ではあるんだが、片や豊富な魚の知識、片やキャラクターとしては御法度といえる船橋市からいまだ公認してもらえない等の苦労話と両者の話に「ふぅ〜ん」と感嘆するんだが、そのあとどうしても「で?」と突き放したくなってしまう。やはりあの声としゃべり方が促進させるんだと思う。カーっとまくしたてられると若干イラッとしてしまうのは否めない。で、今日の似顔絵はブログ開始して初めて描き甲斐が無いものであった。それも含めてつまらない。なのでちょこっとさかなクンを足した次第。
   

Posted by イリー・K at 01:04Comments(0)【ふ】

2014年01月31日

浅香光代


 人間、社会生活を営む中で何もかも洗いざらい喋れば必ずしも幸せが訪れるとは限らない。さすれば自ら墓穴を掘ることもなりかねない。誰ともカドを立てず、より平穏な人生を送るためには相手によりけりではあるが、良しにつけ悪しきにつけ自分に不都合なものは墓場まで持って行くのが肝要であろう。しかしそこは業の深き人間、欲に駆られて口を突いて出てしまうことがある。

 最近でいうと水沢アキの「ジャッキー・チェンとの交際歴」暴露。暴露というよりかねがねあった噂を認めたという方が正しいが、その行動からは「見返りを求めている」ぐらいしか汲み取れない。しかしおどろいたのが浅香光代、齢85にしてカミングアウトからは何もわからない。えらいもんをぶちまけたもんだ。波瀾万丈という他ない内容だが、その年で何を求めようというのか。年を重ねた末のやけっぱちか、最後の切り札的な。関係にあった某政治家が誰なのかよりこの期に及んで公に明すに至ったその心境を知りたい。
  

Posted by イリー・K at 23:58Comments(0)【あ】

2014年01月28日

林寛子



 日曜日の新聞のラテ欄を見る度、どうしても素通りできなくて一瞬考えてしまうが、「林寛子のアイドルステーション!」なるラジオ番組が制作・放送されているのはどういうことなのか。この世にはびこるありとあらゆる“怪”のひとつである。もちろん聴いたことが無い私が想像するに、AKBの超有名どころから、まだ駆け出しの秋葉原あたりを活動拠点にしている子までさまざまなアイドル情報を林がナビゲートする内容か、もしくは自身がアイドルであったころの思い出や同期のアイドルなどを懐古する内容のどちらかであろう。前者だとナビゲートするに長けた人材なんて他に山ほどいるから考えにくい。となると考えたくはないがおそらく後者であろうと思われる。そんなに話すことなんてあるんだろうか。1クール(3ヶ月)どころか、3回続くかも疑わしい。松本伊代や早見優あたりなら成立しうるが、なぜに林寛子なのか。記憶に残るヒット曲ってあるのか。私は知らない。だって物心ついた時にはクロパン夫人になっていたから。

 縁戚である故、義理の父(黒澤明)の威光に預かっていた部分もあって、芸能界で漫然と振る舞っていたのが数年前に離婚。後ろ盾を失って原点回帰ということか。大して何も築けなかったところに戻ったって何もありゃしないのに。しかも驚くべきことにこの番組はFMである。TOKYO FMでもbayFMでも無いだろう。どこの局なんだろうか。いま、日本中で流れているラジオ、いやテレビも含めて電波で流れているすべての中で最も奇怪な番組である。海賊放送かもしれない。
  

Posted by イリー・K at 14:25Comments(0)【は】

2014年01月09日

アルバイトと思しき巫女さん


 あけましておめでとうございます、といっても1月9日。新年が明けてから私は3回も神社に行った。神社に勤めている人や神社・仏閣マニア以外でこれほど足を運んだ人はそういまい。交通安全の祈願を受けるのがいちばんの目的だったのだが、1回目は「バス・タクシーでお越し下さい」と口酸っぱくCMで言っているのでバスで行ったら、「車でお越しにならないと受けられません」と断られ、2回目は受付時間に間に合わず、3回目は「社務所のそばに車を置かないといけません」と歩いて5分ほどにある有料駐車場に停めたあとで言われた。社務所そばに停めるのは最も混雑している時期ゆえ後日落ち着いた頃にお越し下さいと結局断られた。3度に渡る無駄骨。幸先悪い年初めだ。参拝客で賑わう雑踏の中で沸き起こる憤懣やるせない思いをどうにか抑えねばと気を落ち着かせようとするとある疑問がわいてきた。私のように3回通わなくても目につく方は多いはずだ。

 さっき接客した巫女さん(イラスト参照)もそうだが、たぶんアルバイトだろう。何か聞く度に奥に引っ込んで聞きに行ってたし。どうしてこの時期多く目にする巫女さんにケバい化粧の人がいるのだろう。いや、人前に出るのだから化粧を施すのは女性として最低限の身だしなみである。しかし場違いな化粧をしている。どう見てもあれは「オミズ系」である。いくら末端の仕事とはいえ神職に就いている身である。あんな化粧をしていいのかと見る度に思ってたのだ。同じアルバイトでもコンビニやファミレスであんな化粧をしている人はまず見かけない。AVやピンク映画に取り上げられやすいようにエロティシズムとの相性の良さと関係しているのだろうか。よくわからない世界である。  

Posted by イリー・K at 09:08Comments(0)【あ】